とあるサイトのインデックス
ドメインを移したはいいが、アクセスが壊滅した。
いや、更新が落ちたのは私の責任だが、そもそも人間は愚痴などしないほうが、しあわせなのである。
したがって、このサイトの更新がないとき、私の精神は平穏そのものであるわけである。
無論、嘘だ。
私は言ったはずだ。
私の精神は下劣かつDQN的であり、言おうが言うまいがつねになにかに不満を持っている、と。
さて、いま私は愚痴を書くために、相当な調べ物をしてしまっている。
前回の記事など、中央調査社についてのあの取るに足らない記事を書くために、6時間はネットの海を徘徊した。
しかし、なにもやっていない日は12時間くらいは平気で徘徊する。
つまり、日常生活において私は一体どうやってネットで12時間も潰しているのか、というまこと不思議な現象に直面する。
閑話休題。というか、その問題の答えはたぶん出ないから放置する。
google様というのはすでにインフラであると私の数少ない友人(友人の少なさで私の右に出る者はそうはおるまい)は述べたが、そのとおりである。
頼むから、まっとうなインデックスをお願いします。
さて、今日の愚痴対象はウィキペディア様である。
ウィキペディアはインフラではない。あれはあるいは学生のレポート調査資料であり、それほど強くは知りたくないが確認だけしておこう的な資料にすぎない。
あれは有用な場面もあるが、基本的に意味がない。あれだけ硬質で無意味な文章を大量生成しているのは、おそらく執筆者は時間の無駄である。あんなものを読んでほんとになにか理解できたと思っているのであれば、そいつは相当にめでたい。
あれは理解に使う物ではない。あれでなにかの内容を知ることはほぼ不可能である。つまり、わかるのはなにかの存在だけである。
「ウィキペディアはそのものがそのものとして存在することを(大枠で)証明してくれる」が、そのものの内容についてはほとんど説明できない。
ありもしない中立的などという独善性に侵されたメディアの末路と言うのは簡単だが、理念の否定はみにくくなるのでこのあたりにしておこう。
中立はなにも言っていないのとほぼ同義である。
真に中立たろうと、結構全力で何年も考えた私が言うのだからまちがいない。
中立など存在しえない。誰からも正当だと評価されるようなポジションは存在せぬ。
したがって、それを実行しようとすれば、なにも言えなくなるのである。であれば、最初からバイアスをかけたほうがマシである。独善的ではあるが、すくなくとも偽善的ではない。
偽善は悪だが、独善は善である。
この差はデカイ。ニセの善は「善ではない」ということである。極めて狭い範囲にとっての善は「善である」ということだ。
さて、あまりにペダンチックかつアカデミックかつパンデミックかつアウフヘーベンでアヴァンギャルドな意見である。
すなわち、無意味である。
私が独善を名乗るのは他者を攻撃できるからである。
私独りのための善であるから、他者の反対意見はすべて悪である。
さて、偽善者諸君よ、そなたらはなにを贄にすることによって、そなたらの善性を相対的に確保しようというのか。
結論を述べる。
私は独善的であるがゆえに、善人である(自画自賛)
だから、諸君らは私個人を信用してはいけない。
古来より、「セイ」とつくもので信じられるのは「性欲」だけであると述べられている。
「セイギ」も「セイフ」も「セイトウ」も信用に値せぬものであると(うわっ! 私の発言イケメン杉!)
まあ、そんな発言だれもしてねーけどなwwwwwwwww
はい、いいんです。
だから、
でも、
さりとて、
私はウィキペディアを使う。
じつに見事なダブスタである。
ダブスタについてはそのうちきっとたぶん書く。嫌儲についてもちょっと書きたくなってきた。
したがって、ここは有名なセリフを引用することでシメようと思う。
もし、このセリフがわからぬ者がいれば、至急グーグル様というインフラを仕様し、のち、レンタルビデオ店に走って該当する映画を10回ほど見るのがよい。
見ると、私がすこしだけよろこぶ。よろこぶがとくになにかするわけではない。
「書きたいことが まとまってません。後半なんか滅茶苦茶。自分でわかってるんです」
ということで、書きたいことまとまらねえ、という愚痴であった。
>>次の話:某アイドルグループって、最近はほぼ一択な気がする
2013年9月29日 カテゴリー:俺の愚痴 思想的な愚痴 タグ:え? ロリコンサヨクじゃねーよ!, ここは悪いインターネットです(断言), ジブリっ子, 右往左往