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  • お金の話

    困りものである。愚痴が止まらぬ。

    いや、よく考えてみれば、私はこんな人間だったはずだ(断言)

    決して私は聖人君子ではない。

    聖人君子に見えるとするならば、ホログラムである。実態はそこにはない。というか、そもそも見えない。私はなんの可能性を考慮したというのか。惰性で文章を書くとこうなるわけである。だが、惰性の企画なので訂正などはしない。

    なにせ募金が嫌いな人間である。そもそも善良ななはずがない。

    こうして、募金が嫌いと書いてしまったから募金の話もしたいところではあるが、それもお金の話シリーズなので次回にでも。

    さて、さっさと本題に入る。なにせまた午前3時なのである。いい加減私とて眠い。眠いが、眠さと愚痴をこぼしたいという気持ちとは並立できる。

    眠くとも、愚痴は言っておけ。とは誰にも言われないのであるが、かと言って、眠くとも、勉強をしなくては、仕事をしなくてはならない、とはよく言われことである。

    しかし、私は眠くとも愚痴は言うが、眠いときに仕事はしない。

    それだけでどうしてこうもダメ人間の烙印を押されなければならないのか。まことこの世はうまくできてはおらぬものである。

    いや、金の話である。

    世の中の人間は2種類に大別できる。私か、私以外である。なるほど、哲学的だ。

    だが、そんな話がしたいわけではない。

    もっと具体的には払う側と払われる側の金の認識の話がしたいのだ。

    金を稼ぐとはなにか。

    そうです、顧客をハッピーにすることです!

    さきに言っておく、バーカ。

    いや、一度では足りぬ。バーカ。バーカ。バーカ。バーカ。バーカ。

    5度ほど言ってみた。じつに小学生並である。

    いや、ここでなにか怪しげなバナーでも貼れば私の意図が透けて見えてよさそうなものであるが、あいにく私はアマゾンかグーグルかせいぜいA-8程度までしかアフィリエイトをするつもりはない。

    そして、いまのところそれを導入するかどうかも悩んでいる状態である。そもそもこの更新に目的などない。

    何度も言うが、残さず言うが、本企画は私のただの愚痴である。

    そもそも顧客をハッピーにすること=金を稼ぐこと

    だと本当に思っている経営者がいたら、それはバカである。そんな会社は100%潰れている。

    ハッピーなどというあいまいな定義でごまかされるのは、セキセインコ程度の脳しか持たない人間である。

    ハッピーをなんに変えれば儲かるのか、などと考えてしまった諸兄がもしいたとすれば、断言しよう。

    あなたの求めている情報は100%このサイトにはない、帰り給え。

    そんなことは私の知ったことではないのだ。

    私はただ、「仕事をさせる以上は、たとえそれが1秒であろうと、移動距離が1メートルであろうと、必ず金は払え」と言いたいだけである。

    私とて人間である。サービスすることはある。というか、むしろ多い。なるほど、ナイスガイだと褒め称えてくれてもいい。

    だが、そこに仕事並のクウォリティーを期待されても困る。

    「こないだお願いしたやつ、ちょっとカンジが違ってたんで勝手に直しました」などとしたり顔をされても、「そう言えば、お願いしたこと、こっちでもできました」などとドヤ顔をされても、腹が立つだけである。

    いや、それは私が請求をしない変わりになんの責任もとらない、と何千回も前置きしたことではないか。

    間違っていたからなんだというのだ。

    イメージとちがっていたからなんだというのだ。

    私がお金を貰える仕事にするにはちょっと気合も足らんし、やる気もねえ。とは言え、うるさいし、世話になっていることもまあ、ないとは言えない。

    オーケィわかった。

    「責任はとりませんよ、どうなっても知りませんよ、最終責任はあなたですよ、動くかどうかも定かでなく、その結果うまくいかない可能性が高いと思います。が、その代わり、礼はいりません」

    と前置いて、その作業をしているわけである。

    どうにかできたのなら、最初からどうにかせよ。報告はいらん。

    違っているのはおまえの伝え方が悪いのだ。報告はいらん。

    うまくいかないからなんだと言うのだ。それは私の知ったことではない。

    そもそも、たとえそれまで時給1億円を貰っていようとも、それが勤務時間外なら働く必要はない。

    とは言え、私もおとなである。無碍に断ってもカドが立つから、責任を持たないなら無償でやってもいいと言っているのだ。

    おまえは金を払っているが、それで好意や忠誠心まで買えたと思っているのなら、大きなまちがいだ。いくら払っていようが、その当該行為が無償ならば、無償のものしか得られないに決まってるだろ。

    ということである。

    だが、こういう輩が距離の遠近を問わず、そこかしこにいるあたりが、真の愚痴の対象である。

    ひとりならキチガイだが、多数派になれば常識である。

    じつにため息しかでない話である。

    2013年9月7日 カテゴリー:俺の愚痴 経済的な愚痴 タグ:,