テキストが進まない
愚痴企画を立ち上げた瞬間に、連日のPCフル稼働。
なるほど、いかに私の生活が理念などではなく、愚痴から構成されているのかよくわかる出来事である。
「先生! 文字屋くんは品性が下劣です!」と学級委員あたりに責められてもおかしくない。
いや、むしろ責められたい。
ちなみに私はメガネの学級委員よりは、ガミガミタイプの学級委員の娘のほうが好きです。
閑話休題。
やっぱり、どんなかたちであれ、テキストを書くうえでもっとも時間がかかるのは推敲であろうというのはある種類の人間には理解にしくないことであろう。
これはもうまちがいないのである。戦犯は推敲だ。
そもそも書き連ねるだけならばさほど苦もなく、つらつらと白がクロに変わるというアレで紙幅が尽きていくというのに、すこしでもまともな文章をなどと色気を出すやいなや、ミクロまぬけ時空が発生しいつの間にやらアタマを抱えて換気扇の下でタバコをふかす私がいる。
そうだ、つまり、私の文章などというものの作成過程に推敲という作業が合祀されているのがいけないのだ。
だが、それを捨ててまで世に文章を公開できるほど私のメンタルは強くはない。私はメンタル的にもやしっ子である。もう毎日毎日なにか文句をいわれはしまいかと、プレーリードッグのように首を激しく動かしているわけである。
つまり私の強気な姿勢はただのつよがりである。だが、もやしはもやしでも可燃性のもやしである。よく燃える。決して萌えはしない。
つまり、なぜかぶつかってもなかなか引かない。
戦闘は全力で避けるが、いちど会敵してしまえば、なぜか引くわけにもいかぬと居直るわけである。敗色濃厚程度ではまったく撤退の様子は見せない。
敗戦が確定してから、涙目で土下座である。
しかし、当然ながら、私だって負けたくはない。となると攻撃を受けぬよう、隙を見せぬように、とどんどんどんどん推敲の時間だけが積み重なっていくわけである。
したがって、これまでのima-dropsはその程度の更新頻度であったわけである。
なるほど、これは言い訳だ。
だが、諸君、言い訳が悪いのではない、言い訳できる環境が悪いのだ!!!!!!!
さて。
私だってわかっている。悪いのは環境ではない、個人である、と。
それは重々承知している。なにしろ、この世でいちばん長く私と付き合ってきたのは、他ならぬ私自身である。
私に非がないわけがないことを私は充分に理解している。
そして、推敲を私はこれからもおそらくはしていくであろう。やはりそのメンタルはどう足掻いても身につきそうにない。
したがって、この愚痴企画は全力で見逃せ!!!!!
こんな愚痴駄文は1000字書いても10、20分の時間しかかからぬわけであるが、推敲が混じればそうもいかぬ。
メディア論などというものは、もはや都合3日はかけているというのに、終わる気配がない。
絶望的である。
さて、ここまでが前説である。以下、本題。
こと、WEBに公開するテキストというのは、本来的には改行位置くらいまでは気を使うべきであるとは思っているのであるが、そうするとたまに単語の途中で改行を入れてくる輩が存在する。
なるほど。興味深い。それは読みづらいだろう、という観点にはならないのか。
そもそも私の言う「改行位置くらいまでは気を使うべき」は単語の入れ替えや、語尾の調整、接続詞の変更などを指している。
決して見た目がセーフだから「ボスニア・ヘルツ<br />ェゴビナ(※htmlで<br />をすべて半角で打つと、改行されます)」しろと言っているわけではないのだ。
そこを勘違いした輩が大挙して押し寄せ、そおれこのフォントやKAIGYOはふつくしいだらうなどとのたまう様を思い浮かべるだけでも私は嘔吐する。
つまり、なにが言いたいかというと、くだらないことで形成するヒマがあるのであれば、もっと全うな、根本的な方針に切り替えて、文句を言う前にせめて私の手間を減らせばいいのだ、という愚痴である。
これはべつにテキストに限らぬ話であるが、とかくいかにもその場の都合、あってないような間に合わせの話が多いのではないか。
満員電車で1時間もかけて出社する前に、新宿御苑のドトールで昼下がりの時間をスーツにVITAで潰す前に、なにかやることがあるのではないのか。
ふむ。
なるほど、単なる愚痴に見せかけて、社会情勢まで嘆いてみせるとは、なかなか不快な愚痴であるとお怒りはごもっともである。
私にしたってそうだ、結局、私の負担さえ減ればそれでいい。マインドオウンユアービズィネスだ。
結局、私に関係のない山手線の満員っぷりや、新宿ドトールの混み具合は私の知ったことではない。
それから外れた人間がそれを口にするのは不快であることは否定しないが、とくになにも目的がないただの愚痴なので笑って許して欲しい。
次はもっとライトな愚痴にしよう。