オリンピック
今回、ガチで愚痴。
オリンピックなるものが東京に来ると聞いて、ぶっちゃけどうでもいいと思ったのは私だけではないはずだ。
そうだと信じている。
いろんな問題がありすぎて、そんなことやっとる場合とちゃうやん、という至極まっとうなツッコミがきっと日本全国津々浦々で行われていることであろう。
だが、私は単に私はおいしくないから、ひとが増えて面倒くさそう、という極めて怠惰な理由でどうでもいいわけである。
そもそもこんな大規模なもの、利権以外になにかあろうか?
あっておこぼれだろう?
そんなものはいらぬ。
くれるなら本体をくれ。
具体的にはオリンピック開催時に入国をチケット制にして、その利益を国民に配るとかどうだね、そういうああーこれは利益でござるな、というドストレートな利益をくれ。
活気づく、だとか、内需が、などという戯言は都の職員のニヤケ顔や、電○社員のニヤケ顔を思い浮かべるたびに反吐が出る。
まあ、実際来たら来たで、楽しむのだけれど。
基本的に私はそういうやつである。
ああ、世の中から不平が消え去らぬものか。
不満は仕方ない。不平等も甘んじて受け入れよう。だが、不平だけは気に入らぬ。
公務員の身分保障など戯言どころかキチガイ沙汰である。
通名や特別在留許可のような、どう考えても論理的でないものも、この際いっしょに掃除してはどうか。
平和の祭典なのだろう?
我々が不当に虐げられている状態を平和と呼ぶのかね?
人情をレギュレーションに組み込むのは愚策である。言い分は誰にでもあるわけであるから、それがぶつかり合った場合には論理で片付けるべきである。
公務員は自分で稼がぬ。ならば、金は与えられるべきではない。
公的な名前がふたつは道理が通らぬ。ならば、特権は与えられるべきではない。
いや、そんな話がしたいわけではないのだ。
東京だ、オリンピックだ、2020年だ。
いや、7年も先ではないか。そんなものになんの期待をすればいいのだ。
7年あれば、黒髪で純粋だったクラスのアイドルとて、まかり間違えば股のゆるい女子大生になるのである。
なにが起こるかわからないではないか。
それまでにこの蔓延った閉塞感をなんとか身を切って打開する人間はおらぬものか。
いや、おらぬであろう。おらぬであろうから、ima-dropsはメディアなんぞ名乗っているのだ。
いや、しかし、7年もあるというのに、7年ではとても届くまい。うむ、つまり、届きそうにない愚痴を垂れ流すわけである。
7年は、過ごすには長く、たどり着くにはじつに短い時間である。
2013年9月8日 カテゴリー:俺の愚痴 タグ:あまのじゃく, ツンデレ, 政治臭, 男のツンデレは需要ない