忙しいは無能のセリフ
私には厨二病時代と呼べるものが、中二時代に来た記憶がない。
いや、中二でないだけで厨二病を患っていたことはあった。むしろ長かった。下手をするといまも患っている。
「漆黒の協奏曲(ダーク・コンチェルト)」だとか、「真紅の衝動(ブラッディ・インパクト)」だとかを放つタイプの厨二病ではなく、「世界を愛で繋げたらなあ」などと本気で考えるタイプの厨二病であった。
現在患っている厨二病っぽいものは、快楽的尊皇攘夷思想である。時の流れは残酷である。
左から右への鮮やかなるシフトチェンジだ。
思想が極端に揺れる者は簡単には信用してはいけないと私は読者諸兄にアドバイスしておこう。
ただ踊るんだよ、踊った方が楽しいときもあるんだよ!
さて、のっけから色鮮やかな始まりであったが、その「世界を愛で云々」時代に私は多くのものごとを鵜呑みし、お花畑的解釈をしてきた。
大学入試に出るのは朝日新聞だから朝日は正しい。(大学にそういうひとびとが多いだけの話である)
9条は世界に誇れる条項だから世界は日本に攻めてはこない。(現在、9条はあるが侵略されつつある)
テレビで放送していただから正しいに決まっている。(論ずるに値しない。放送は営利企業の自己都合のカタマリである)
私はいまやサヨクが死ぬほど嫌いなのでこういったものを例として挙げたにすぎないが、実際はそんなレベルではない。ありとあらゆることを鵜呑みしていた。
その中に
「忙しい」と言うのは自身の無能さをアピールしている。
が存在する。
いまも、ビズィネス界にはそう信奉してやまない熱心な教徒がいるようであるが、これは文面通りにとると痛い目にあう。
「忙しい」と言うのは「もうこれ以上やりたくない」ということだ。
まあ、無能な者ほどこれ以上やりたくないと思う確率は高いであろうから、そうはまちがっていないととることもできるが、「忙しい」は自己について言及しているわけではなく、むしろ他人について言及している。
つまり、俺の時間をこれ以上奪うな、ということである。
まあ、こんなことを言ってしまうと私の周りでも私に対する不快感が募ることまちがいなしであるが。
何度も言うが、この企画は私の発言でありながら、私は一切の責任を負わない、メディアとも思えぬ糞企画である。
さて、予防線を張ったところで、具体的に深ぼってみよう。
私がA君に「忙しい」と言うとしよう。A君は私になんと言うであろうか。
1、「大変だね」
2、「手伝おうか」
3、「じゃ、これもお願い」
4、「知wwらwwんwwwがwwなwww」
5、「よし、飲み行くか」
1、4はよくあるパターン。5もまあ、あるパターン(そして私は5なら行くwww)。2は稀にいるけど手間が増えた経験しかない。
さて、問題は3だ。この「忙しいは無能」思想に取り憑かれると、3を選びたくなる。
これがワナである。値踏みしているのはA君に見えて、じつは私である。
A君がもし当代随一のスーパーエリートで利用価値が死ぬほど高かったとしよう(返答はたぶん、1か4であろう)。
私はぜったいに「忙しい」とA君には言わない。
むしろヒマっす、ちょーヒマっす! なにしたらいいすか? むしろ、あなたもヒマなら飲み行きましょうとしっぽをふる。たとえどれだけ忙しくとも。
つまり「忙しい」と言う相手には基本的には時間を割きたくない、と言っているわけである。
遊びたいときは忙しいとは言わないだろう。仕事が欲しいときにも忙しいとは言わないだろう。
最近、ことあるごとに「忙しい?」と聞いてくる御方がおはしましますのだが、私はそれにすべて「いやあ、おかげ様で忙しいっす」と答えている。
もう1秒もあなたには割きたくないというメッセージなのであるが、そこから当然のように「忙しい無能論」によって説教が始まる。
私は日本昼行灯実行委員会を名乗るかどうか考えているくらいの男である。
打っても響かぬ、しゃべりたいことを気持ちよくはしゃべらせぬ、聞きたいことを的確には答えぬ。
相手はなんだかよくわからない気分になって、言わなくていいことを言い出しボロを出す。それでもなお私がそのような態度でいると「へらへらしてないで、真剣に聞け」などとまた説教を垂れる。
そしてある程度情報を得て、向こうが熱意を消化したところで、私はおもむろに自分の希望を伝えるわけである。
たいてい通る。無理なときは、おそらくそもそも自分の希望が相手にメリットがまったくない。
こういう風に「忙しい」を悪用する手だってある(成功すればいいけど、失敗すると仕事を失います。用法用量は守って正しくお使いください)。
つまり「忙しいは無能の証」は嘘である。「忙しいと言われるのが人望がない証」なのである。
まあ、ほんとにただ忙しいだけのときもあるが。
つまり、基本ビジネス系統の格言は、自分の価値を省みない。すべて理想の某かへの憧憬と、他者批判に基いている、という愚痴である。
それを得るのはいいが、私にもそれを強要するな。
付き合えぬ、と思ったら切ってくれて構わない。
そもそも素晴らしいと思ったビジネス系の格言などひとつもない人間に、そんなものをどうだ、すごいだらう、と見せつけるのは、熟女好きの辰甲くんに美少女の写真を見せつけるくらい無意味なことである。
2013年9月12日 カテゴリー:俺の愚痴 思想的な愚痴 タグ:ゴマすり, ビジネス(), 元々ぼっちだから, 友達減るぞ, 私の程度が知れますなあ