ネトウヨとサヨク
2ちゃんねるのまとめはとてつもないアクセスを稼ぎだすそうな。
正直、1日中2ちゃんに張り付いているわけにもいかぬので、私はまとめ:2ちゃんは7:3程度である。
私が好きな板はいろいろとあるが、なんJ、創文、シベリアはほぼ毎日行くと言っていい(まあ、18:1:1くらいだが)。
もちろん、半角も好きです(小声)あとはプラスや無印にもたまに行く。
反対に私が嫌いな板はふたつ。嫌儲と東アである。
おや、おまえはネトウヨではなかったのか、東アは好物だろう、とお思いのことだろう。
諸君、私はネトウヨだが、ネトウヨの張るコピペは大嫌いだ。そして、なんでもかんでも二言目にはザイニチザイニチと呪文のように唱える、あのアホのような行動には反吐さえ出る。
特別永住許可は即刻なくすべき。通名は即刻廃止すべき。外国人参政権は噴飯どころか、言った瞬間即強制退去でいい。これは揺るがない。1000年後もそれについては、転向するつもりはない。
だが、在日差別はまったく別問題だ。特別じゃない永住許可者は差別するな、ということだ。ましてや、帰化したものにまで差別を投げかけるのは意味がわからない。
いいか、帰化者は日本人だぞ? ソトではなく、ウチである。それも理解できずにただ排斥だけを目的とするのであれば、むしろそちらの方がよほど害悪である。
帰化して悪さされたらどうするんだ、と息巻く人間もいるだろうが、帰化してないのに悪さしてる奴も多いじゃないか(憤怒)
ハトカンはどうするんだよ。河野洋平はどうするんだよ。村山やツジモトどうするんだよ。ミズポは?
アベちゃんだって、靖国参拝するって言ってしなかったじゃないか。大事なところで大嘘つきじゃん。比較的みんしゅとう()よりはマシなだけで。
閣下だって、結構微妙なネット介入してるじゃないか。
だから、生粋の日本人であろうとも愚物は外患誘致罪で構いはしない。
金美齢は敬え、ハトカンR4は蔑め、ということだ。そこに人種はなんら関係ない。
どうしてだか、ネトウヨはそこには目をつぶる。目をつぶるだけならいいが、都合のいいほうだけ見て叩く。おかしな人々である。
--こうまでネトウヨを嫌いながら、どうして私はネトウヨを名乗るのか。
ここまで来たら不思議に思うかもしれない。だが、これは私のような原理原則至上主義者が言うのもアレだが、ネトウヨの心いきだけは評価したい(棒)
いや、棒読みしたけど、これは偽らざる本心である。
売国奴よりは何倍もマシだからだ。国民総ネトウヨになったほうが、国民総サヨクよりは何倍もマシだからだ。
所属コミュニティに誇りを持ち、称える。その心の動きは私もネトウヨなのである。
したがって、私はネトウヨを名乗る。
コピペ貼ったり、在日認定して遊んでる彼、彼女らを私は決して好きではないが、国士様たらんとしているその心の動きだけは尊いと言っているわけである。
そこは間違っていない。アウトプットの方法はたしかに選ぶべきであろうが、それすらどうしようもない、止むに止まれぬ焦燥感をアホウと断罪する権利は、すくなくとも被選挙権を持つ人間にはないと私は思う。
バカにするのであれば、解決策を示せ。
それもできずにネトウヨ=バカのレッテル張ってなにが楽しいんだ。
私はサヨクをバカにしている。したがって、私は解決策を提示している。
サヨクは残らず日本から去れ。もしくは日本人のメリットを示せ。
これがもっともよい解決策である。
サヨクの主張には主体がない。これが私がサヨクが嫌いな理由である。
ネトウヨの主張には主体がある。「日本」だ。まあ、「日本=俺」というものもかなりいるだろうけれど。
サヨクはとりあえずそれがなんなのか、さっぱりわからない。
「日本は謝罪すべし」と書けば、日本が主語のように見える。だが、待って欲しい。それは早急にすぎはしないか云々(様式美)
「日本は(日本のために)謝罪すべし」は意味が通らない。
なにが日本のためになるのか。迷惑をかけたら謝るのは当然のことと、昨日ツイッターのところで語ったが、それは当然のことであると思うが、そもそもその謝罪ならすでにしている。
まだ足らないというのであれば、話にならない。 戦争責任は東京裁判でとっている。平和に対する罪。ものすごい断罪である。
というのは別に国内サヨクに言いたいわけで、対外的に言いたいわけではない。対韓国・中国についての愚痴はいずれやる。
基本的には特亜に対する補償は終わっている。
それをいつまでも温情だ、反省だとだらだらやっているから、くだらない事態になるのである。
決めるべきことは決める。決めてないことはやらない。それだけを忠実に実行していれば、なんの問題もない。
どの道、反対も賛成も出る。投票権とは、騙される覚悟と、騙されたときに責任を取る覚悟の総称であると思うのだが、いかがだろう。
決して、平等という名の自己都合のためにおいしいとこどりをすることではない。
むしろそう言ったことを言い始めてもいいのではないか。よっぽど日本の過去のシステムから考えれば左翼的、革新的ではないか。
どうして日本の腐れサヨクは「謝罪が、温情が、美しい○○が、かつての□□だった☓☓は」とよくわからない過去を美化するのか。
美化まではまだ許すが、その磨き上げた空想の刃をなぜウチ側に向けるのか。
なるほど、ハラキリか。
ここまで保守的であると。だが残念ながら、私はハラは切りたくない。
というか、まずおまえらが切れ。まず、死んでくれ。ひとりで。それを見て納得したら、私も切ろう。
が、まあ、私は根が正直なので予め言っておくが、たとえそれで納得したとしてもハラを切る気はない。サヨクお得意の発言をなかったことにするパティーンで華麗な逃げ切りを図る。
つまりである。
サヨクは自らはハラを切る気がない。
ハラを切らざるを得ない方向に持って行こうとして、ふと気づくと外野ポジションにいようとする。
まて、おまえらがハラを切ろう、と言ったのではなかったのか。
なぜか。なぜおまえらは壁越しに白洲を眺めているのか。帰るべき朝鮮が眼前にありながら、どうして日本を代表して意見を述べようとするのか。
不思議である。
サヨクは絶対に責任はとらない。
ネトウヨも責任をとらない。
どちらも同じわけである。
けれども、それであれば、私はまだ自身のポジションに愛着を持とうとするネトウヨに好感が持てるし、そう(ネトウヨ)でありたい。
したがって、私は厳密に言えばおそらく革新左派であろうけれども、ネトウヨを名乗っているわけである。
つまりこれは、私の魂の在り処についての愚痴である。
ちょっと、2500字を超えたし、眠くなったので、嫌儲への愚痴はまたこんど。忘れたらやらないwww
2013年9月15日 カテゴリー:俺の愚痴 思想的な愚痴 タグ:だって、大作家でも嫌いなものは嫌いだ, やーめーろーよー, サヨク, ネトウヨ, 政治臭