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  • アラフェスなう

    ようやく愚痴れる環境が整ったので、再開する。まあ、まだ仮オープン状態なので、少し手は入れんといかんのだが。

    さて、表題の件。

    北島康介がアイドルグループ嵐のコンサート開演後に「アラフェスなう」とつぶやいたことで、ツイッターアカウントが炎上したそうな。

    2013年9月23日16時半現在で、リツイート6,000件超。

    アラフェス

    叩くか!?

    そこ、叩くかふつう!?

    と私が言うと思っただろう。

    私も言うと思った(外山恒一風)。

    が、もし仮にこれが野田地図の公演だったとしよう。そして、私がチケットを持っていなかったとしよう。

    ブチ切れるかもしれない(意訳:野田地図行ってきます)

    当たらないのだから、入れない。

    至極当たり前のことではあるが、それはそれは許せぬことであろうと思う。いや、許せない。顔も見たくない。

    ましてや、幕が上がるあとにこんなものをツイートしようものなら、罵詈雑言を確実にここに愚痴る。

    ツイートはしないけれどもwww

    さて、ここから例によって熱い既存メディアの批判である。熱メ批。

    ツイッターというのは、恵まれた母数からの糞のような発言で成り立っている。

    母数が多く、即時性もあり、検索もまあまあ優秀だ。通常、WEBであればgoogle様にインデックスされる、というもうこれはどうしようもない経緯(解決するにはgoogle様に頼らずにユーザーをつけるしかない)を経たあと、ようやくWEB上で認知されるのであるが、ツイッターは1分前のツイートが検索で引っかかる

    しかも、バルスでの飛ばぬ程度の強靭なサーバも持っている。

    恵まれた母数の利点というのを死ぬほど理解しているからこそ、とれる選択肢である。

    IMA-DROPsはどこまで行ってもこうは行かない。

    記者の数を無限に増やしていけば、似たようなことはできるが、それでは糞のような発言をフィルターにかけられない。

    したがって、IMA-DROPsは糞のような母数から、恵まれた発言を目指すしかない。

    もうこれは成り立ちからして、その道しかないわけである。

    ツイッターはそれを捨てている。発言の精査などあろうはずもない。だから、炎上するし、犯罪告白を垂れ流すわけである。

    それを自由ととるか、他力本願ととるかは個人の選択である。

    無論、双方に利点はある。

    バイアスをかけずに垂れ流すことによって、正確な情報がより早く、しかも大量に手に入る。

    バイアスをかければ、情報は正確ではなくなり、速度も落ちる上に、公開できる情報は少なくなる。

    反面、バイアスをかけないことは、イデア的には可能であるが、最小単位においてイチ個人が情報を公開する以上、事実上不可能である。つまり、イビツだ。さらに正確な情報とやらの何倍もの不正確な情報をも垂れ流す(2ちゃんのデマに気をつけてください、のようなもの)。

    この点では、バイアスをかけることは誠実である(と私は思う)。立場を鮮明にすることによって、バイアスをコントロールできるからだ。ネトウヨ寄りだと宣言すれば、そういう目でその情報を見ればいい、ということだ。ここでそのバイアスが正確か、という問題が発生するが、それはメディア自体の信用力を上げる以外に方策がない。

    なぜなら、我々は基本的には嘘をつく。驚くほど、多種多様な嘘をつく。

    したがって、メディアの信用力というものは基本的には「武士は食わねど高楊枝」の世界である。

    嘘をつきたい。けれども、嘘をつけば終わる。だから、つかない。そのくらいのほうが正直でいい。

    スポンサーの有利になる記事は書きたいし、自身の不利になる記事は書きたくない。ここまではいい。

    だが、それをさも公正明大だと謳いながら、こっそりやるのはいかがなものか。

    そうだ、朝日、おまえのことだ。

    いや、閑話休題。ツイッター批判だ(※アラフェスなうの愚痴記事です)

    まあ、ツイッターについてはそんなところだ。

    こんなものが主流になるのはなにかがまちがっている。

    「いまから来てくれないか」の精神はどれだけツールが便利になっても失うべきではない。

    世界はひとつの空だとほざく前に、汝、汝の隣人を見よ、ということだ。世界はひとつの空だなんだと言う人間がご近所からは白い目で見られているなどとは、笑い話にもならぬ。

    私は世界の空は人数分派であるが、ご近所からはきっと生ぬるい目で見られていることであろう。親類からもことあるごとに「なにをしているのか、まじめに生きろ」勧告が出されるくらいであるから、きっとその生ぬるさは半端なものではあるまい。

    だが、親類の皆さん、私はまじめに生きている。ちょっと、まじめの方向が原理原則に向きすぎて、俗世を振り返らなくなっただけである。

    待て、これは私信ではないか。もちろん、親類一同はこのメディアを私が運営していることなど、まったく知らぬわけであるが。

    まあ、要するに私はツイッターはコミュニケーションツールとしても優れていない、と申し上げているのである。

    軽口は酔っ払ったときに吐くものであって、シラフでWEB上に(しかも実名で)載せるものではない。

    あるいはこれは壮絶なブーメランである。

    叩いていいのは、叩かれる覚悟がある者だけである。だが、私は炎上商法バンザイ派なので、叩かれる覚悟はある。というか、叩いてもらえれば儲けものである。

    よし、本題をそろそろシメよう。

    そんなわけで「アラフェスなう」は「開演後につぶやくなや」派に対して、北島康介氏が全面的に悪い

    「私が行けないのにつぶやくなや」派はまあ、ちょっとネジが飛んでいるが、北島康介氏は有名になることでスポンサー契約を得ている言わば、有名税を払うべき人物であるから、これに関しても言われても仕方あるまい

    有名税ってさあ……いや、これは長くなるからいずれ。私がいずれ、と言ったものでいずれが来たことがあっただろうか? ……うむ、たまにはあるな。よし、問題ない。

    まあ、それで謝罪するとかは、あんまりにもアホなのですることもないだろうし、する必要もない。

    そもそも嵐ファンと北島ファンがかぶっているかどうかも定かではないし、たいはんの人間にとっては、アラフェスに行けようが行けまいが、どちらでもいいことなのだから、ここは無視の一手である。

    北島康介氏の発言の責任は氏にある。責められても致し方ない。にしても、これで叩くかなあ、というのがまったく嵐のコンサートに行きたくない私のような人間の正直な感想であろう。

    国家安康君臣豊楽レベルですよ、これは。理由あるっちゃーあるけど、ないだろwwwと。そういう話であろう。ただまあ、豊臣それで滅ぼされてっからな!

    要するに私は嵐コンサートに行きたくないのでどうでもいいが、北島氏は悪い。でも、これで怒り狂うというのはちょっとばっかしナイーヴすぎはしないかい、という愚痴である。

    2013年9月23日 カテゴリー:俺の愚痴 熱いメディア批判 タグ:, , , , ,