まっきんとっす
私の仕事上のパートナーに関する愚痴は、数限りない。
基本的には使えるヤツだが、大枠では使えない。
金銭感覚の欠如と勝負弱さとたちの悪い軽さが彼の欠点で、素早さと人当たりのよさが長所である。あ、まあ、そこそこアタマもいい。
無論、私ほどではないが。
私ほどではないが。
彼は数多くの失敗をし、そのたび私になじられるのである。多くは翌日には互いに忘れているが。
が、私はひとつだけ思い返して意味がわからぬ、と怒りに打ち震えることがある。
PCについて、である。
私はクラスでマックが大流行したときであっても、頑なにウインドウズユーザーを続けてきた。
なんだかよくわからないスケルトンでカラフルなデザインが置いてあるなか、面白味もクソもないダイナブックやFMVを使っていた。
が、それはこの際どうでもいい。
私は基本的にはマカーは嫌いである。
マックユーザーがどれだけ吠えようとも、うるせえバカで話は終わる。
http://news.mynavi.jp/news/2013/09/02/068/index.html
ウインドウズシェア91%超。
まだなにか吠える気ならば、さぞやおエライ方なのでしょう、死ね。と私は伝えよう。
いまやどっちだって関係ない、などとのたまう輩まで現れる始末だが、ならウインドウズでよかろう。
グラフィックが、UIが、わかった、死ね。
91%超。
もうウインドウズ以外を選ぶ意味がない。ましてやPCを持つ人間がすべてデザイナーであるわけもなく、くりえいたあであるわけもない。
どっちがいいって、使ってるやつが多い方がいいに決っているのである。
当たり前だが、動く金額がちがう。
データの蓄積も、サービスの改良も、どう考えてもユーザーが多いほうがいい。
マカーは厨二的な欲求を満たす以外に意味がない。
と同様に、マカー全体を貶めても意味がない。
これは私の愚痴である。
したがって、さっそくではあるが、本題にいこう。
ノリで仕事に使うPCをマックにする意味がない。
その当時、仕事に関連するチームはウインドウズ使用者だけであった。
もう、なぜにマックにしたのか(困惑)。
1年くらい前の話ではあるのだが、いまだに私が迷惑をこうむっており、正直にいって仕事に多くの支障をきたしているのでそういう迷惑に対峙するたびに思う。
いちいちこういうところで小言を言うのは年寄り臭くて好きではないが、まあ、でも、ソフトの互換性や、ブラウザの表示不具合が出ることなど、想定できなかったのか。
渡されるファイルを開くたびに挙動不審な動きをされ、無理やり読み込んでは使いにくい表を書き出す。
そして、ファイル名は当たり前のように文字化けし、たまにファイル自体が壊れる。
これはその軽率なノリとやらで私が被っている被害である。
もうそれほどマックが優れているのであれば、布教プレゼンでもして回ったらどうか。
正直、私が10代のころからマック布教は続いているように思うが、いまだ91%のシェアをウインドウズに誇られている。
ジョブズのプレゼンは天才的らしいが、ジョブズ信者のプレゼンはお粗末だということか。
※私はべつに窓信者でもなんでもないので、シェアが逆転したらマックにあっさり乗り換えます。
要は、ノリでやっていいことと悪いことがあって、その結果、責任をとれもしないことはノリでやるべきではない、ということである。
もっと直接的に言えば、する必要もなかったマックにしておいて、私に不便を強いるとはなにごとか、ということである。
小学生に怒っているみたいだが、学生時代、私の高校時代はそれはそれはクソのようなものであったが、それでもいくつか学んだことはある。
そのことばを彼に贈りつつ、本日の愚痴をしめることとする。
いい仕事とは、他人が仕事をしやすくすることである。
2013年10月4日 カテゴリー:俺の愚痴 タグ: PCの話, マッキントッシュが嫌いなわけじゃないぞ, DQNの言いがかり